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映画 「砂の器」 は本当に名作なのか? [映画]

元日のWOWOWで、一部の映画評論家から邦画史に残る名作との評価を得ている、「砂の器」 が放映されていました。
約35年前の映画ですね。出演者の皆さんお若いし、すでに鬼籍に入った人も何人か。

この映画、私も初公開された時に映画館まで見に行ったのですが、率直な感想は、「だまされた!」 でしたね。
私は松本清張の原作を読んでいて、推理小説の映画化との認識で見に行ったのですが、その期待を見事に裏切られた訳です。何で裏切られたと思ったのか?
推理小説の映画化なのですから、刑事が犯人を追い詰めていく、緊迫した展開を期待していたのに、ただのお涙頂戴の映画に成り下がって(失礼)いたからなのです。

確かに、この映画を見て涙を流さない人はいないでしょうし、実際私もそうでした。原作を知らずに見に行った人にはより大きな感動を与えた事でしょう。でもね、涙なしには見られない映画が必ずしも名作とは言えないと思うんですよ。映画で観客を泣かす事など監督にとっては簡単な事でしょっ?
可哀想な人をいじめていじめていじめ抜いてやれば、一丁上がりですよ。

その他、この映画の不満な点は、
観客は犯人は誰かを知っています。手掛かりの少ない中で刑事は、犯人にいつどうやってだどり着くのか?その瞬間を期待しながら見ている訳ですよ。
ところがこの映画では、いつの間にか[和賀]なる人物が犯人である事を刑事は知っていて、捜査会議の場面で犯人の生い立ちについて語り始めるのです。
これでは刑事にインチキ・カンニングをやられたような気分になって、刑事が犯人に辿り着く決定的な場面を見逃したような欲求不満が残ってしまうのです。

どうやって、刑事が[和賀]を突き止めたのか?もちろん原作同様に映画館の写真からなのですが、この辺も原作を微妙に変えてあって、ご都合主義が過ぎるような気がします。(松本清張の小説にも、ご都合主義が散見されますが)
被害者は同じ映画館へ二日続けて映画を見に行く訳ですが、原作では二日とも同じ映画をやっていた。だから刑事は映画の中にヒントがあると思って、東京の映画会社の本社まで行って当時の映画を見せてもらった。

映画では原作とは反対に別の映画をやっていた事にしていた。
しかしね、別の映画をやっていたとなれば、最初の日に映画を見に行って、予告編で次の日から上映する映画を見て興味を持ち、翌日また同じ映画館へその映画を見に行った。と考えるのが普通なのでは。
話を端折るためにそうしたのは分かっているのですが。

そしてこの映画の最大の疑問点。
映画は、亀田なる場所で目撃された挙動不審者の聞き込みに行くシーンから始まるのですが、その挙動不審者が何者であったのか、最後まで説明がなかったように思いますがね~。映画の冒頭のシーンですよ!なのにその場面の説明を忘れるとは、なんたる大ポカ、それとも手抜き?原作を読んでいれば分かるって?

要するに、野村芳太郎監督にとって映画の前半なんてどうでもよかったんですよ。
この監督が精魂込めて撮りたかったのは、村を追われた父子が迫害を受けながら旅を続ける後半の部分だったのです。
父親が生きていると言う原作とは違う設定にしてまで。
ただ殺人を犯す動機としては映画の方が納得できますけどね。しかし、なんで和賀は電話を受けた時、人違いだと言い張らなかったのか?成長した青年の写真を見て、5、6歳の頃の面影があると言われてもね~

「砂の器」 を、なまじ名作だと言うものだから、35年前の腹立たしさがよみがえって来るのです。私も執念深い?


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2010年最初の太陽。右遠方に見えるのが日本一高いビル、横浜ランドマーク・タワー296m。
右がその拡大図。

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そして元日の富士山。

blog2010shadowfuji.jpg
そして初日の出によって出来た富士山の影。うん、なんか変か?
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藤田 耕正

全く同感ですね。amazonのレビューでも,二百数十のうち四分の三が☆5つ,常軌を逸しています。上記の御正論に胸がすく思いです。

by 藤田 耕正 (2017-01-01 09:17) 

FD

明けましておめでとうございます。
ちょうど7年前の古い記事にご賛同頂き、ありがとうございます。
世間で一定の評価が定まってしまいますと、それに反する意見は言い
難いのでしょう。
「あいつは映画が分かっていない」と言われてしまう?

by FD (2017-01-01 10:20) 

山田権兵衛

子供の面影から現在の顔に思い当たる、おっしゃる通り不可能だと思います。今日、初めてこの映画を見たのですが、この描写には「嫌それ無理だろ、無理、無理」と激しく突っ込んでました。父親はかろうじて判別できたと、好意的に納得してみても、今度は、刑事に「こんな人知らない」と否定する理由がまったくない。むしろ、音信不通の我が子の安否が知れて喜んで飛び付くところです。父親のくだりは完全に、泣かせにきている演出でしかないですね。自分は泣けずに、なんじゃこりゃ?になってしまいましたが…
私が、この映画の最悪ポイントと思うのは、愛人の存在意義ですね。この女必要ないだろ?なんで窓から千切って棄てるの?燃やすか、刻んでゴミに出せば終わりでしょ?また、それだけで、普通犯行と結びつける?エスパーすぎるでしょ!最後、流産で死ぬとか、出てくる意味あるの?犯人の割り出しにはほとんど貢献してません。むしろ、犯人の冷酷さの方が悪目立ちして、後半の放浪シーンで、犯人にたいする同情が半減しました。
結局この映画は、推理部分とか、どうでもよくて、犯行の動機とかも、やっつけで、とにかく、親子の遍路のせつなさで泣かせる、もう、それだけの映画です。自分も、駅の別れの場面では泣きました。いや、あれは泣くでしょ、泣くしかないです。子供をああいう風に使うのはずるいよ…長々と書いてしまいましたが、推理ドラマとしては、落第点しかあげれません。これは、日本人狙い撃ちの、お涙頂戴映画です。その点では名作です。
最後に、丹波刑事のエスパー台詞、「奴は音楽の中でしか父親と会話できないんだ」泣かせにきてます。普通は泣けます。しかし、なんでお前にそこまで分かるんじゃー!心の中で絶叫してました。あざとすぎて、ここでは泣けませんでした。
by 山田権兵衛 (2019-02-18 21:15) 

FD

9年も前の記事にご賛同いただきましてありがとうございます。
先日、NHK で放映された映画「飢餓海峡」を久しぶりに見たのですが、
犯人を執念で追っていく函館の刑事、伴淳三郎。
これこそが名作と言える刑事物の映画ではないでしょうか。
高倉健も若かったし、左幸子も哀れでした。
ただ、三國連太郎。最後までとぼけないで、左幸子に事情を話せば
分かってくれて、2度目の殺人を犯す事はなかったのでは。
ただ、こんな俳優の名前を並べますと、歳が知れますか?

by FD (2019-02-18 22:17) 

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