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無差別爆撃 [政治]

メンフィス・ベルという米国映画がありました。
B-17爆撃機の編隊がブレーメンの軍需施設を爆撃する話がクライマックスとなっているのですが、最終の爆撃コースに編隊を誘導したにも係わらず、雲にさえぎられて目標である軍需施設が確認できなかったため、編隊長は旋回して爆撃のやり直しを命じるのです。
あえて爆撃のやり直しという危険を冒したのは、周囲の一般住宅に爆撃の被害が及ぶのを恐れての事で、米軍のヒューマンぶりを強調した映画となってました。

しかしこんな人道的な事をやっていたのも戦争の初期の頃の話で、その後のドレスデン爆撃などでは、住民の殺戮だけを目的としたような無差別爆撃が行われたのです。

日本に対する空襲も、最初は軍需施設だけを狙った精密爆撃を行っていたようですが、戦果が上がらなかった事や、空軍司令長官が交代した事もあって、非戦闘員をも巻き込む無差別爆撃へと戦術の変更が行われたのでした。

特に63年前の今日、昭和20年3月10日の東京大空襲は非戦闘員の皆殺しを狙った非人道的な無差別爆撃で、まず周囲に焼夷爆弾を投下して逃げ道をふさいだ後、逃げ場を失った一般住民に対して容赦ない絨毯爆撃を加えたのです。この時の大空襲による死者は10万人と言われています。
そしてその後の原爆投下へとエスカレートしていくのですが、この無差別爆撃や原爆投下に係わった当時の空軍司令長官は昭和39年、日本政府より勲一等旭日大綬章を贈られているとの事です。

このような馬鹿げた受章は政治の世界、民間会社などでも数多く見受けられますね。
我が航空業界も同様で、「何であの人が?」 という受章も多いのです。受章者の推薦は航空会社が行うのですが、国土交通大臣も甘く見られたものです。

極東国際軍事(東京)裁判では、米国が行ったこの無差別爆撃こそ最大の戦争犯罪ではないかという声も上がっていましたので、米国は中国と結託し、南京市民20万人虐殺説をでっち上げる必要があったのでしょう。日本人は原爆を落とされても仕方ないような残酷な民族であると世界に向かってアピールする為に。
中国政府は現在30万人と主張していますが、まさに白髪三千丈の国ですね。

その中国の毒入り餃子事件、どうやらこのままうやむやに終わってしまいそうな雲行きですね。
「中国で混入した可能性は皆無だ」 との中国側の主張に対し、「前向きな発言」 との援護射撃を送る福田総理ですもの。
コメント(1) 
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コメント 1

HondaJet

本当にその様になりそうな雲行きですね。

西洋人の倫理基準は“サカナ食いの日本人”とはかけ離れている
と、外国のパブやバーなどで奇声や大声を上げる大柄なハクジンさんを見るたびに思ってしまいます。

また中国の方々とも、何故こうも価値基準が違うのかと思ったりもしますね。

日本人の平和ボケでしょうねきっと...

90年代はアメリカや西洋諸国に対して「Noと言える日本人」が必要でしたが、
現在は特に中国に対して「Noと言える、目線の位置が高く、強い意思を内に秘めた、世界の警察になれる日本と日本人」が必要ですね。

by HondaJet (2008-03-10 22:34) 

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