SSブログ

9・11から10年 [航空関係]

さっそく、思い出話を一つ。
10年前に米国で発生した同時多発テロの時、私は国際線の勤務でワシントンにいたのでした。
前日の10日に到着し、11日の朝を迎えた訳ですが、海外ステイの時は日本時間で生活し、日本の夜の時間帯にはベッドの上にいる事にしてましたので、ワシントンの朝の時刻(夏時間の時は、時差11時間で概ね反対の時刻)、そろそろ寝ようとしていた時の事でした。

寝る前にテレビでも見ようかとスイッチを入れたところ、激しく燃えているビルの映像が映し出されていました。その時のテレビ局は米国のネットワークではなく、たまたま南米系のテレビ局だったのですが、燃えていたビルも見慣れないビルでしたので(北棟、南棟が重なって幅広いビルに見えたのです)、最初は 『また南米でビル火災かいな』 と思ったのですが、よくよく見ましたところ、燃えていたビルはニューヨークの貿易センター・ビルではありませんか。
その時はまだ事の重要さに気付いていませんでしたが、ビルの上階から次々と人が落下していく衝撃の映像にショックを受けたのでした。

何事が起きたのだろうとテレビの映像を見続けていますと、大型旅客機が南棟へと激突する、信じられないような映像が飛び込んできたのです。
この映像を見て、やっと私も悟りました。『大規模なテロが発生している』 のではないかと。
そこでまず考えたのは、食料と水を確保しなければと言う事でした。すぐに服を着替えて近くのスーパーへ買い出しに出掛けようとしたのですが、ホテルの玄関を出てみますと、ホテルの前の道路は警察車両によってすでに封鎖されていて、車の通行が制限されていました。

食料と水(もちろんビールも)はなんとか確保できたのですが、今後の課題は、この危機的状態がいつ解消され、いつ日本に帰られるのか?と言う事でした。そこで、ホテルに泊まっていたクルー全員が集まって、今後の対応について相談する事にしたのですが、しばらくは飛行機は飛べないだろうから、落ち着いて会社からの連絡を待つしかないとの結論を出すしかありませんでした。
最初の夜は全員で和食の店に出掛けたのですが、ニューヨークの惨状に比べ、ワシントン市内は普段通りの落ち着きで、ちょっとばかり拍子抜けしてしまいました。飲み屋で騒いでいる連中を見て、「お宅の国では大変な事が起こっているのに、そんなに能天気でいいのかい?」 と言いたくなったくらいです。

blogwashington.jpg
あああああああフリー写真より。

ところが、その後の情報が殆ど入ってこないのです。
米国の飛行場は全てが閉鎖され、米国内のフライトも全て禁止されていましたので、いつになったら日本に帰られるのか、皆目見当がつきません。
情けない事に、最大の情報源は日本のNHKニュースでして、家へ電話しますと、「ニュースではいついつ飛行機が飛ぶと言ってるよ」 などと、情報を教えてくれたのでした。

そして今でも不思議に思うのは、テロから3日後でしたか、飛行が禁止されているはずの米国・ワシントンから日本へのフライトが許可され、一便だけ飛ぶ事ができた事でした。
「石原都知事が乗っていたからじゃないのか?」 と言う人もいましたが、東京都知事と言えども、それほどの力はないでしょう。

都知事専用便?が飛んだ次の日も、相変わらず飛行禁止が続いていたのですが、その次の日になって、やっと日本への便が就航できるとの連絡が来たのでした。
やれやれと思って、ワシントン・ダレス空港へ着いてみますと、カウンターの回りには十重二十重の人垣ができていました。乗客の皆さんも、この日が来るのを待ちわびていたのでしょう。

ワシントン・ダレス空港を離陸し、一路日本へと向かったのですが、通常は最短距離でレーダー誘導されるのですが、その時だけは航空路を正確に飛ぶ事を要求されました。
航空路からちょっとでも外れたら、戦闘機が飛んできたかもしれません。米国は極度の緊張状態にある事を痛感させられたフライトとなったのでした。
戦闘機にインターセプトされた時の手順も再確認。

成田に着いてみますと、会社のスタッフが到着ロビーまで出迎えに来てくれてまして、空港事務所ではビールや軽食が用意され、心からの労いを受けたのでした。
帰りの電車の時刻が気になりましたので、「そろそろ帰ります」 と言いますと、「車を用意してありますので、ゆっくりしていって下さい」 とも。
会社でこれほど歓待されたのは、後にも先にもこれ一度きりだったような気がしております。


昨日の台風、各地に大きな被害をもたらしましたが、我が家では、ガレージの屋根のアクリル板が飛び、テレビ・アンテナの支柱が曲がった程度でした。有り難く思わないと。

nice!(2)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 5

アドマンSFC

臨場感のあるお話ですね。
戦闘機にインターセプト…どんな心境になるんでしょう???

私もこの日の事は今でも記憶がシッカリ残ってます。
丁度帰宅途中友人からの電話でこのNewsを知りました。急いで帰宅し、深夜までテレビに噛り付いてましたね。あの旅客機がビルに突っ込む映像には、ゾッとしました。共通の友人がNYへ旅行に出かけており、連絡が取れず心配しましたが、帰国したのが1週間遅れでした。共通の友人は某社のCAさんで、通常旅客優先で帰国便に中々搭乗出来ず大変だったそうです。
by アドマンSFC (2011-09-22 13:53) 

リベット

ボクはちょうどJFKから帰国する予定で空港入りしてた時でした。
キャプテン同様、現地ではほとんど情報が無く(旅客機がWTCに突っ込んだと言う事もだいぶ後から知りました)、日本との連絡時に聞ける程度でした。

その日の朝までローワー地区に居たので、まさに間一髪。
ただ知り合いのバンカーを大勢亡くしました。

幸いすぐに空港近隣のホテルに部屋を取る事が出来、3日後のJAL・NRT行き第1便に搭乗することが出来ました。
JALグローバルカードとAMEXに電話して、かなりネゴシエーションした結果ですが^^;
by リベット (2011-09-22 16:29) 

友三

 FDキャプテン、早速の更新ありがとうございます。
今後も楽しみにしておりますので、何卒よろしくお願い致します。
by 友三 (2011-09-22 18:51) 

平和のためにいまも国際部隊が中東に展開しております

■War on Terror
殉職者(20代の兵士が多いです。)2011年6月時点で六千人以上
http://projects.washingtonpost.com/fallen/
■米航空関係者のブログ
http://acaptainslog.blogspot.com/2008/07/fallen-soldier_04.html
http://acaptainslog.blogspot.com/2008/10/fallen-soldier-rest-of-story.html
■The Star Spangled Banner
http://www.youtube.com/watch?v=9ETrr-XHBjE

by 平和のためにいまも国際部隊が中東に展開しております (2011-09-22 20:32) 

FD

ブログをやっておりますと、「奇遇ですね!」 と言いたくなるような関わり合いがあって
世の中は狭いなと思わされます。

私の場合は乗務でワシントンへ行っておりましたので、飛べるようななりますと
最優先?で帰国することができました。

私の個人的な被害は、日本への到着が遅れたため、出場申し込みをしていました
筑波でのレースに参加できず、参加料をフイにしたことでした。
しかし、犠牲になった人達のことを考えますと、大したことでありません。

by FD (2011-09-23 09:21) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0